北島直樹

業界ナンバー1の支持率を誇るカリスマピアニスト!
青山学院在学中にプロ・デビュー。
松本英彦、日野元彦、本多俊之のグループに参加。
阿川泰子のアルバム「ジャーニー」、「サングロウ」で
アレンジを担当したことがきっかけとなり、
CM音楽の制作、アレンジやスタジオワーク、和田アキ子、岩崎宏美のツアーや
テレビ出演など、幅広い音楽活動を精力的に行う。
寺井尚子のアルバム「アンセム」から
最新作「Adagio アダージョ」まで、作曲家としても才能を発揮。
現在は、寺井尚子カルテットの活動を中心に活躍中。1955年生まれ。
山口真文(s.sax)
1946年9月1日、佐賀県唐津市生まれ 中学校のブラスバンドでトロンボーンをはじめる。
慶応大学入学と同時にあこがれのサックスを手にし、KMP NEW SOUND ORCHESTRAというジャズのフルバンドのサークルに入会。サックスとジャズ喫茶通いと麻雀の4年間を過す。卒業後、半年程ヤマハ音楽振興会に勤務するが、ミュージシャンの道を志し、1969年、故成田勝男氏がオープンさせたばかりのお茶の水ナルや当時さかんにライブを行っていた渋谷オスカーなどで活動を始める。 その頃の仲間は板橋文夫(p)つのだひろ(drs)古沢良治郎(drs)益田幹夫(p)古野光昭(b)関根英雄(drs)等であった。
1970年、川崎瞭(Guitar)クインテットで本格的にピットインやタローにデビュー、この頃はまだアルトサックスを吹いていた。1971年、ジョージ大塚(drs)に抜擢され、アルトからテナーに転向、大野俊三(Tp)大徳俊幸(p)古野光昭(b)からなるジョージ大塚クインテットは各地で大好評を博した。 1974年、ジョージ大塚クインテットを退団した後、自己のカルテットを結成、ライブハウスを中心に活動する。この頃のメンバーは土井一郎(p)坂井紅介(b)桜井郁雄(b)関根英雄(drs)等であった。 1976年に初リーダー作「アフター・ザ・レイン」を発表。二作目の「リー・ワード」を出した1978年には、{新宿ジャズ賞}を受賞した。
また1976年には故鈴木宏昌(p)の新グループ結成に参加。このグループは当初<コルゲンバンド>という名前で、松木恒秀(g)岡沢章(e-b)市原康(drs)という売れっ子スタジオミュージシャンの集まりであった。後にドラムスが渡嘉敷祐一に替わり、1979年CBSソニーからアルバムを出すのを機会に<ザ・プレイヤーズ>と名称を変更、当時のフュージョンブームの中でも超人気バンドであった。
1978年音楽上の師匠であるジョージ大塚氏のニューヨーク録音盤「マラカイボ・コーンポーン」の発売に合わせた日本コンサートツアーに参加した。他のメンバーはケニー・カークランド(p)ジョン・スコフィールド(g)ミロスラフ・ヴィトウス(b)という超豪華メンバーで、大きなカルチャーショックを経験した。 1981年ニューヨークで、ケニー・カークランド(p)ミロスラフ・ヴィトウス(b)トニー・ウィリアムス(drs)をメンバーに「MABUMI」を録音、これを機に<ザ・プレイヤーズ>を退団し、再びジョージ大塚の新グループ<マラカイボ>に加入し、1986年まで演奏と作曲に活躍した。 1987年、故日野元彦(drs)らと「SQUAD」を発表、その後佐藤允彦(p)辛島文雄(p)向井滋春(tb)等幾多のミュージシャンとセッションやレコーディングを重ね、現在は自己のカルテットを中心に、お茶の水ナルをはじめ、各地ライブハウスに出演している。
現在のカルテットのメンバーは入江宏(Pf,Key)小松伸之(Drs)を中心に工藤精(Bass)生沼邦夫(Bass)清水絵理子(Pf)西直樹(Pf)米田正義(Pf)清水秀子(Vo)斉田佳子(Vo)等、またエレクトリック・グループでは、入江宏の他に柴崎浩(Gui)IKUO(E-Bass)山口鷹(Drs)田中栄二(Drs)といった人たちとオリジナル曲を中心にした演奏を展開している。
加藤真一(bass)
1958/3/20 魚座 A型
168cm / 60kg(2006/10月現在、太った。特に腹)一(いち)がつくので長男、しかし、名前の由来は当時放送されていた黒柳徹子のラジオドラマの主人公の名前をとったそうで安易である。
ついでに言うが妹の名は決めかねて当時1歳の私にくじを引かせたそうである。妹は今も納得していない。 もひとつついでに妹は茂子といって札幌市中央区南3西13丁目で『千両箱』という居酒屋をやってますのでどうぞ、ご利用ください。私の名前を出すと何らかの特典があります。が、叩き出される恐れもあります。 まあこんな親にしてこの子アリです。 北海道空知郡奈井江町出身。石狩平野のど真ん中、幼少時代は文化、芸術とはあまり縁のない生活だったが、健康で立派な田舎もんだった。小学生、中学生時代は音楽より絵に興味を示し、美術の成績は9年間オール5、美術コンクール入賞の常連だった。しかし、15才の時ビートルズを聞いてからギターを弾きはじめ、高校時代はロックバンドを結成、クリームやディープパープルなどのコピーバンドで地元のコンテストや学園祭で演奏する。ふつうここで非行に走るのだが、おおらかな北海道の田舎ではその心配は全くなかった。
しかし、相変わらず絵が好きなのと、父親に「楽譜が読めなきゃ音楽なんかじゃ食えん」と言われ、(絵のほうがもっと喰えないじゃないか!)東京デザイナー学園に進むが、隣のヤツが数段私より上手だったので、あっさり絵はあきらめ、またロックバンドをやり始め、中退。
その後ブルースに興味を持ち当時ブルースの盛んな京都へ。が、あまりに勝手に弾いていたので、見かねたその当時のバンドメンバー(成瀬秀之:キーボード奏者、現在関西で活躍中)の勧めでアン・ミュージックスクールに進み3年間、音楽理論と鈴木淳氏にアコースティックベースを学ぶ。成績優秀、特待生で卒業。
この時期、神戸のクラブ、キャバレー、ディスコでプロ生活スタート。同時にジャズに開眼。のち鈴木氏の勧めで上京。ホテルラウンジのピアノトリオで一年間演奏する。(この一年間は徹底的にしごかれ、いい想い出なし。)あまりに酷かったのでジャズに嫌気がさし、札幌に移り、ジュネスオーケストラでクラシックを演奏したりして(NHKテレビで全国放送された)半年ほどジャズから遠ざかるが、とってもうまかったので、友人の勧め(おだてられ)でジャズライブ活動再開する。なかでも定期的に行なったフリースタイルを含めたベースソロのライブは新聞等に取り上げられ注目を集めた。またこの時期 札幌交響楽団首席奏者、藤沢光雄氏に師事。
1985年ドラムスの猪俣猛トリオ(西直樹:ピアノ)に抜擢され再び上京。同トリオにて全国のオーケストラ、吹奏楽団とも共演する。またジャズでは大友義雄グループを中心に西直樹、遠藤律子、高橋知己、佐藤達哉、三好功郎、黒田京子らのグループはじめ多くのミュージシャンと共演、多種多様な音楽を演奏、活躍する。また、池田篤、椎名豊を擁した自己のカルテットではオリジナル曲を中心に演奏する。
1991年には、この時期に活躍中の若手ミュージシャンを集めて、全曲オリジナルのアルバム(You Can Touch My Heartstrings・自主制作)を発表、好評を博す。
1992 年永住権取得を機会にニューヨークに移住。シーラ・ジョーダン、ヘレン・メリル、またアキラ・タナ率いるアジアン・アメリカンジャズアンサンブル、グレッグ・マーフィートリオ、アーニー・ローレンスグループ、ハル高内トリオで演奏する。またさまざまなセッションで活躍。
1994年猪俣の率いるJJJASのツアーに参加、カーネギーホールで演奏。その後メキシコを楽旅。10月には、マイク・スターンを迎えてのリーダーアルバム(Something Close To Love・キング・KICJ222)をリリース。
1995年帰国、佐藤允彦、中川昌三、辛島文雄トリオ、1996年、木住野佳子トリオで全国ツアー。1997年、猪俣猛でインドネシア、大山日出男カルテットで韓国ツアー。
1999年10月、全曲オリジナルのベース独奏アルバム(Old Diary・サウンドヒルズレコード:TLCD1001)をリリース。嶋津健一ダブルダブルベースセッションなど アコースティック・ベースの魅力にスポットを当てた活動も展開し始める。
2001年、佐藤允彦とのデュオアルバム(Duet 独ナゲル・へイヤー2017)が全米全欧でリリースされ、国際的評価も得る。
2002年、佐藤允彦トリオ(Tipo CABEZA)、富樫雅彦(JJ Spirits)に参加。2004年、5枚目のリーダーアルバム、(B-HOT CREATIONS / EndressJourney ローヴィング・スピリッツ RKCJ-2012)をリリース。
2005年、佐藤允彦(Saifa)とドイツ・メールスジャズフェスティバル、オランダ(BIMHUIS)に出演。 アラキネマ(去年ノ夏、青ノ時代)参加。また、(B-HOT CREATIONS / SET ME FREE ローヴィング・スピリッツ RKCJ-2017)をリリース。
2006年、ライブアルバム(Live in Northland / KATO-SATOH-TAPPY ローヴィング・スピリッツ RKCJ-2020)をリリース。
現在は自己のグループ(B-HOT CREATIONS:田中信正、斉藤良、NOBIE)をはじめ、佐藤允彦トリオ(Tipo Cabeza)、市川秀男トリオ、鈴木和郎トリオ、嶋津健一トリオ、井上ゆかりトリオ、村上寛トリオのレギュラーである。
川村竜(bass)
1982生まれ。高校生の頃にエレキベースを始め、ロック、R&B、ポップスに傾倒。ドラマーの岩瀬立飛のもとでアンサンブル、音楽理論などを学ぶ。大学入学を機にウッドベースを始め、安カ川大樹に師事する。在学中から様々なミュージシャンとの共演を重ね、プロとしてのキャリアをスタートさせる。2004年、ハワイで開催された国際コントラバスフェスティバルではジャズ部門において最優秀賞を受賞。同フェスティバルではジョン・クレイトン、グレン・ムーアらを中心としたベースカルテットでコンサートを行い好評を博す。2006年にはダスコ・ゴイコビッチ(tp)のインターナショナルカルテットに参加。国内ツアー、メディア出演など好評を得る。現在はNYで活躍するボリス・コズロフに師事するかたわら、国内外の著名ミュージシャンと共演を重ねている。ジャズ以外にもHIP HOP、ポップス、R&Bなどのアーティストのサポート、スタジオワークなどに参加。ジャンルを問わず幅広く活動を展開している。
土屋潔(guitar)
ベンチャーズの「パイプライン」を聴いて初めてエレキ・ギターを手にする。大学在学中に友人と組んでいたバンドが、南佳孝、吉田美奈子、あがた森魚らのバックを努めるようになり、プロのミュージシャンとなる。
大橋純子&美乃家セントラルステーションに参加その後、阿川泰子、南佳孝、松山千春、来生たかお、サンディー&サンセッツ、ブレッド&バター、マンデー満ちる、久保田真琴、桜井鉄太郎など多くのアーティストのライブやレコーディングに参加している。
繊細で正確なギタープレイはそれら多くのアーティストから支持されており、さりげないハートウォームなフレーズの数々は、アーティスト自身そしてその作品や演奏の良さを常に大きく引き立てている。


