秋吉 敏子 (Toshiko Akiyoshi)
79歳で世界の現役!秋吉敏子を超えるジャズ演奏家は後にも先にも存在しないだろう!
New Album
2008/06/18 on sale
Toshiko Akiyoshi & Lew Tabackin
「VINTAGE」
〜DUKE ELLINGTON SONG BOOK〜
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2008年7月18日 ライブ開催決定!!
TOSHIKO AKIYOSHI - piano
PAUL GILL - bass
MARK TAYLOR - drum
三鷹市芸術文化センター 風のホール
19:00開演
18:30開場
全席指定
前売り ¥6500
(当日¥7000)
ローソンチケットにて発売中(Lコード:75802)
主催:株式会社ティートックレコーズ
特別協賛:サッポロビール株式会社 ![]()
協賛:エフエム西東京 84.2MHz ![]()
むさしのーFM ![]()
ジャズスポット「開運橋のジョニー」
(有)エムズシステム
後援:スイングジャーナル
ジャズ批評
TOKYO TUC
(有)ローカルメールオーダー
ジャズワールド
お問い合わせ先:
株式会社ティートックレコーズ
TEL&FAX : 03-5789-5354
E-mail : info@t-tocrecords.net
秋吉敏子 略歴
| 1958 | マドモアゼル音楽賞 |
| 1976、1977、1978、1979、1980、1981、1983、1984、1992、1994 | グラミー賞ノミネート 最優秀バンド・パフォーマンス賞 |
| 1981、1982、1984、1990 | グラミー賞ノミネート 最優秀編曲賞 |
| 1980、1981、1982、1986、1989、1995、1996 | ダウンビート 最優秀作曲・編曲賞 |
| 1980、1981、1982、1983、1984 | ダウンビート 最優秀ジャズバンド賞 |
| 1984 | レコードレビュー 最優秀編曲賞 |
| 1980、1981、1982 | ジャズフォーラム 最優秀ジャズバンド賞 |
| 1988 | ルーツ 世界の最高ジャズバンドリーダー賞 |
| 1975 | スイングジャーナル Nanri賞(初受賞者) |
| 1977 | 金賞 |
| 1976、1981、1996 | 銀賞 |
| 1986 | ニューヨーク市長 リバティ・アワード |
| 1986 | NYアジア系アメリカ女性協会賞 |
| 1987 | LAウーマン・ウオリアー賞 |
| 1995 | チグサ賞(初受賞者) |
| 1997 | 日本音楽ペンクラブ賞 |
| 1997 | 柴綬賞 |
| 1998 | 名誉博士号授与 バークリー音楽院 |
| 1999 | 横浜市文化省 |
| 1999 | ジャズ殿堂入り |
| 2000 | ラトガース大学ジャズ研究所 ニュージャージージャズ協会 殿堂入り |
| 2000 | 東京都知事 文化賞 |
| 1997、2000 | 日本ペンクラブ賞 |
| 2002 | NY 日本商工会議所 栄誉賞 |
| 2004 | メリー・ル・ウィリアムスウーマン・イン・ジャズ・アワード受賞 |
| 2004 | 国際交流基金賞 受賞 |
| 2004 | 旭日小綬章 受賞 |
| 2004 | 朝日賞 受賞 |
| 2005 | 御前公演(美智子様) |
| 2006 | スイングジャーナル選定ゴールドディスク賞 |
| 2006 | 日本レコード大賞 特別賞 |
| 2007 | ジャズディスク大賞「日本ジャズ賞特別賞」 | 2007 | 全米芸術基金[NEA]ジャズマスター賞 |
| 2007 | ミュージックペンクラブ賞 | 2007 | 東久邇宮記念賞 |
秋吉敏子スーパーカルテットメンバー
ルー・タバキン

ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。フィラデルフィア音楽院で学び、1963年から1965年は陸軍で演奏。1966年ニューヨークに出て、メイナード・ファガーソン、キャブ・キャロウェイ、サド・ジョーンズ=メル・ルイスの各オーケストラに参加。1967年夏に穐吉敏子と出会い、1969年結婚。1972年、当時所属していたドク・サヴェンリンのオーケストラの移転に伴ってロサンゼルスに移り、1973年には穐吉敏子と共に秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンドを結成。1982年にニューヨークに戻り、1983年1月秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・タバキンを結成し、2003年に解散するまで、両バンドで30年にわたってプリンシパル・ソロイストとして数多くの曲でソロをとるなど中心的な役割を果たした。また自己のトリオでも活動している。
そのひげが特徴的だが、テナーサックス演奏時の身体の縦の動き、音の強弱によるビブラート、そして一流のフルート演奏も特徴的である。ちなみに夫婦揃って熱心なワインコレクターでもある。
ルイス・ナッシュ

1958年12月30日、アリゾナ州フェニックス生まれ。
20歳になるまで生地のフェニックスで活動。
23歳でニューヨークに出て、マッコイ・タイナーとの共演で知られるフレデリック・ウェイツに師事。ウェイツの推薦で得たベティ・カーターとの知遇をバネに助走路を進んだ。
80年代半ばにロン・カーターのグループに参加するのを機にセッション・ドラマーとして持ち場を広げ、トミー・フラナガン、ローランド・ハナ、ブランフォード・マルサリスなどのサポートに大活躍。
90年に初リーダー・アルバム『リズム・イズ・マイ・ビジネス』をリリースし、バンド・リーダーとしても名乗りを上げた。
これまでに3000枚以上のアルバムのレコーディングに参加するという最強のミュージシャン。
ジョージ・ムラツ

現チェコ共和国、ボヘミア地方南部のピーセックに生れる。一時期サックスも学んだがプラハ音楽院にてクラッシックとベースを学ぶ。在学中よりチェコの一流ジャズグループであるチェコスロバキア・オールスター・バンドで活躍。卒業後の1966年西ドイツミュンヘンへ移住し、ジャズミュージシャンとして活躍。その時期にアメリカのミュージシャンと共演し、若きジャズベーシストの名はアメリカのミュージシャンの間で話題になる。1968年バークレー音楽院特待生として渡米。その後、ニューヨークで活躍し、25歳の若さにして才能を見込まれ、オスカー・ピーターソン・トリオのレギュラーメンバーとなる。その後もエラ・フィッツジェラルド等と共演し、定評と人気を得る。当時、あまりにも忙しく泣く泣くビル・エヴァンス・トリオへの誘いを断ったというエピソードがある。その後も数々のミュージシャンと共演し、1978年からはトミー・フラナガンのレギュラーベーシストとして活躍。トミー・フラナガンとは「Eclypso」「Thelonica」「Ballads&Blue」などの名盤を残している。1992年、トミー・フラナガンの元を離れてからもフリーのベーシストとして活躍中。親日家で70年代より頻繁に来日し、来日回数は50回を超える。
母国では英雄的存在とされ、2004年の60歳の誕生日は大統領主催でプラハのお城にて記念コンサートが開催され、その模様を収めたCDが大統領のプロデュースにてヨーロッパで発売されている。
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